團團珍聞

弾圧の対抗策に、団団社は1878年10月から『驥尾団子』誌を出し、団団の発行停止の場合に備えた。
そして頻繁に、罰金・禁獄・発行停止などの処分を受けた。
1883年、政府は団団・驥尾を念頭に、新聞紙条例を改訂してピンチヒッター的並立を困難にしたので、団団社は驥尾団子の自殺号を出した上で同誌を廃刊した。
1891年、野村文夫が没した後は梅亭金鵞が雑誌を支え、二年後に金鵞が没した後は、文夫の親族の野村猪三が経営したものの、次第に社運が傾き、1897年4月、大岡育造が団団社を買い取って大岡の中央新聞社の銀座四丁目に社を移し、社名を『珍聞館』と変えた。